2009年8月31日月曜日

これはいったい?


長々と続けたイタリア旅行記もこれでおしまい。最後に雑ネタ。

高校生の時、確か緑色の食用色素はない、と習いました。青色何号だかと黄色何号だかを混ぜて作るのだ、と。メロン味をうたうこの緑、あまりにも鮮やか。ローマでもフィレンツェでも、アッシジでもお目にかかりました。観光客相手のりんご飴と思えばいいのかしらん。まあ、同じ国旗がスムージーに化けるか、質実剛健弁当に化けるか、どっちがいいかといわれれば、私は前者ですがね。


次はなつかしの「ミゼット」、いや、ダイハツのミゼットとは違いますけど、曲がりくねった細い道の多い街では現役なんですね。これも行く先々で見たものの一つです。不思議なことにどれもこれも古びていました。廃車になったものを修理に修理を重ねて使っているのでしょうか。そして、日本ではどうして見られなくなったのでしょう?「三丁目の夕日」で初めて知った人もいるかもしれません。私が小学生のとき、「まーちゃん」というひょうきんな男の子がいつもミゼットをネタにしたギャグで笑わせていました。その当時で十分古くて冴えないものだったのに、イタリアで見ると、日本でも使えばいいのに、と思ってしまうから不思議です。


次行きます。
今回、これまでの人生で見たすべての彫刻を合わせたのと同じくらい、もしかしたらそれ以上の彫刻を見たのですが、理解に苦しむ作品が何作かありました。
こんな怖い顔した魚の口からだばだば水が出てきて、ん~、何をどう感じたらよいのでしょう?





さらにこれ。メタボのオジサン(バッカス)がカメに乗った姿なんて、眼の猛毒。わからんぞ~。




そして右。なんぼ、丸腰の争いといっても、つかんでええとこと悪いとこがあるんと違う??(一応、私の名誉のために弁解させてください。右の写真は夫が自主的に撮ったものです。まさか撮るとは思わなかった。でも撮ったから載せます。)





次はアルノ川のほとりの街灯の台座です。この台座より上は普通の街灯なんですが、どうしてここまで台座が踏ん張らないといかんのでしょう?しかも3本足。もう一本の足が後ろに隠れています。きっといつの時代かの何かの様式なんでしょうが、3本足なら古代中国の青銅器で私は満足。









最後のとどめは猫パンチ級。途中で息子が買った駄菓子。名前が笑えますが、実はこれ、グリコがヨーロッパで売っているポッキーなんですって。ポッキーという響きが何やらろくでもない想像を招くらしくて、こういう名前なんだそうな。もしかして猪瀬直樹「ミカドの肖像」に出ていたりして・・・。

まあ、そんなこんなで、出発前の盛り上がらなさに比べると、いろいろ珍しいものをみて、面白い経験をした、しらんで初イタリア報告、これにて終了。ちゃんちゃん。

イタリアの犬たち

日本の犬はケージにいれないと乗物に乗れません。しかも犬とケージと合わせて10キロまで(それ以上は貨物扱い)という厳しさです。イタリアの犬はリードのまんまで地下鉄にも乗ります。ある日、地下鉄からエスカレーターに乗ろうとしたら、前を歩いていた兄ちゃんが、えいやっとばかりにシェパード系雑種を抱き上げました。25,6キロはある子です。抱っこしてお利口にエスカレーターに乗って登って行きます。兄ちゃんが刺青入りでちょっと怖かったので、遠慮勝ちにこっそりシャッター。

犬連れ男は駅のお迎え・お見送りの常連です。電車が止まるホームには必ず犬がいる、といってもいいくらい、よく見かけました。日本じゃ改札通してくれるのかしら?この子はレトリバーの仔犬でしょうか。階段を降りるのに嫌々してました。





カンカン照りも慣れているのでしょうね。毛皮も暑そうなんだけど。

こういう連中とは裏腹に、とある、有名ブティックに足を踏み入れたときのこと。それはそれは立派なダルメシアンが、これまた子どものくせにアンニュイの生き証人のようなお嬢様の足元で寝そべっているのを目撃いたしました。お母様の買い物のお供で、子どもも犬も疲れていたのでしょうが、カメラなんて向けられないほど立派でしたわ・・・・。

まあ、こんなご先祖さまがいたりすれば、犬なりにIQが高いかもしれません。






街かどで散歩するときもリードなしの子が多いです。そうだよね、なしで歩きたいよね、とわが日本の紐付犬を憐れまないではいられません。でも、犬嫌いの方は嫌でしょうね。私も子供のころ、学校へ行く途中にふらついている犬がいると、息を止めて怖々歩いたものです。走ったら追いかけられる、と言われていましたし。
飼い主なんぞ家で留守番させて、散歩を楽しむ連中もアッシジではよく見かけました。ブログ作るつもりだったら、もっと写真とったのになあ、とちょっと残念。












さて、フィレンツェのこの子は飼い主と思しきオジサンの後を粛々と歩いてついて行きました。途中で秋波を送った私のことは、チラッと見ただけで無視・・・私のほうが犬の後をしばらくついて歩いたくらい。で、どこへ行ったかというと、教会に入って行きました。オジサンについて祭壇に向かい、おいおい、と思ううちに、祭壇手前で右折して、立ち入り禁止区域へ。追跡中止。オジサンが消えたドアの前で待っていました。お利口さんだ~。やっぱ、IQ高~い。

犬連れは圧倒的に男性。もしかして、もしかして、連れて歩いたり、つきあったりするのが女より楽だからか?ん~、そんな気がする。


そして最後に私が買いたかったフィレンツェの犬をご紹介。帰国前夜、閉店後のショーウィンドウに発見したのですが、本当に残念。全部買っても3万円はしなかったのに。ね、犬のポーカー、かわいいでしょ?

チェスセットを売るのが本業とおぼしきお店でしたが、'Great Dragon Ball Inside!' なんていう貼り紙があり、そうと思しき、悟空のフィギュアが奥のほうにあるのを目撃。日本のマンガはもはや歌舞伎やお茶どころじゃありません。

2009年8月29日土曜日

4(クワットロ)レオーニ

フィレンツェ2晩目は、ママが教えてくれた2軒目の店「4(クアットロ)・レオーニ」に行きます。
こちらはホテルから歩いていける、アルノ川南岸の一角。これが最後のイタリアごはんか、と思わないでもなかったけれど、最近、年のせいで、外国へ行っても、普段と極端に変わらないものを同じくらいの量食べることに、案外、こだわってしまいます(こだわらなくても大丈夫な夫と息子ごめんよ)。

ここでは息子がトラッパを食べたい、というので、まあ好きにしなされ、と、セコンドにトラッパ(いくつめだったか忘れたけれど、牛の胃)注文。内臓肉が嫌なわけではありませんが、あんまり、ぞろっとした感触のものは好きではありません。一口食べて後はリタイア。

プリミはスパゲッティと名前を忘れたのがとても残念なショートパスタにしました。マカロニのように穴があいてるわけではなく、よじってあってst-で始まる名前だったと思うのですが、もうわからない・・・でもスパイシーな味つけでおいしかった。


さて、ここでもお楽しみは最後のドルチェ。失望を重ねてきたとはいえ、イタリアのドルチェ。「4レオーニ」はこれまで行った中では最も洗練されているようだし、何か変わったものを頼んでみよう、と思った私。パンナコッタやティラミスはもう結構、ズコットもジェラートも沢山よ、ということで、「ココメロ」を選びました。何が来ようが、ドルチェに嫌いなものなんてないはず、と確信しています。まあ、「ココ-」という時点で、ココナツを想像してはおりました。町角でココナツ割って売っていましたし。


で、何が来たか?






じゃ~ん!そうです。皿からはみ出さんばかりの巨大なスイカ。
イタリア語ではスイカをココメロというのでした。

大笑い。

おいしかったよ、おいしかった。ラグビーボール型のスイカは味が濃厚でおいしいのよ。

夫いわく、「でも、昼、屋台で買った€1のスイカはもっとおいしかった」。このスイカ、€5でした。



€1のスイカの写真を発見したので、アップしておきます。

ペルセウス

旅行前に行きつけのイタ飯屋のママから教わったトラットリア(格式ばらない
レストラン)はフィレンツェにある店でした。
まず1軒目はトスカーナ名物ビステッカをキロ単位で食べさせてくれるという "Perseus"。ママからは「残すつもりで食べてね。昼ごはん、まともに食べていったらダメよ」と言われておりました。観光客の集う旧市街からは離れているので、タクシーを使います。


ビステッカとはTボーン・ステーキのこと。ただし厚みが半端じゃありません。本当は3人で行った場合は1.6キロからの注文なんだそうですが、小柄な日本人3人組は1.1キロで許されました。とはいえ、ごらんの写真Tボーンが屹立しているのがわかるでしょうか。その周りで、かつおのたたき風な断面を呈しているのが牛肉です。

なあんだ、ただのステーキか、と思わないでください。ただの塩コショウじゃないんだから。・・・下味の秘密が何かはわかりませんでしたけど、アメリカのステーキとはちょいと違うな。ローストビーフとも違う。シャトーブリアン・ステーキが近似。ただし、ヒレ肉じゃない分、脂が焼けている旨さがあります。

1.1キロなんてどうしよう?と思う間もなく完食。たぶん息子はもうちょっと食べたかったのではないかしら?お店自体は地元民で込み合い、カメリエーレもオジサンも飾り気がなく、アメリカの田舎食堂でも十分勤まりそうです。スティックサラダの大盛りが突き出し代りにおいてあるのですが、こういうものの鮮度と温度には無頓着。隣のテーブルは、いかにもデートという後期青年(初期壮年)と女性。KYっぽい男がただひたすら喋りまくり、女はフンフンと相槌を打つだけ。間違いなくこれが最後のデートだろう、と思ったね、私は。

順序が逆転しますが、ペコリーノ・チーズと松の実のアンティパストも大変おいしかったです。薄切りりんごの上にペコリーノ・チーズがのり、松の実がかけてあり、さらに例によってオリーブオイル。あしらってあるのはチャイブもどき。これなんかはすぐにでも真似が出来そう・・・ペコリーノ・チーズが日本じゃ高いけど。

写真で向こう側にあるのは、マッシュポテトを生クリームでのばしてトマトソースの上に乗せて焼いた、グラタン的なもの。セコンドだったのか、コントルノ(付け合わせ)だったのか、もう忘れました。

帰りはカメリエーレ氏にチップを払いながら、「タクシー呼んでね」とお願いし、店の外に出て、平気そうな顔でタクシーを待ちました。(車来るまで全然平気じゃなかったよ~。)

2009年8月26日水曜日

フィレンツェ教会まわり

ウフィッツィを見るまでは、今一つフィレンツェに魅力を感じなかったのですが、見た翌日は俄然積極的に街めぐりとなりました。
あいにく日曜日で、教会内部は午後まで入れなかったりしたのですが、朝、手始めにヴェッキオ宮へ行きました。ローマでもそうでしたけれど、観光名所はいずれも空港並みのボディチェック。ヴェッキオ宮はおなじみのカバン透視機械(本当は何ていう名前なの?)がないためか、係官の前で、カバンを開いて中身を見せて見せて通ります。右の写真のホールで荷物検査です。


確かに外側から見ても別にどうっていうことない古い建築物。もしかすると、広場にあるダヴィデのレプリカに心奪われるかも。ところが中へ入ると、なかなか見せてくれる建物なのです。500人広間は有名らしいです。パイプ椅子が並べてあるあたりを見ると、市庁舎の施設の一部として、今も使われているのでしょう。

中を歩き回って見物ですが、お急ぎ観光客は少なく、ゆったりと見ることができます。ガラス越しに向こうを見ると景色がゆらめく硝子、なんとも味わいがあります。こんな小さな写真ではわからないかもしれません。そして、階段の踊り場にあるライオン。ぼーっとした抜け作ぶりに思わずツーショットですわ。

ヴェッキオ宮のあとはドゥオモことサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会にジョットの鐘楼(エレベータなしの階段414段。当然辞退、有料だし)、サン・ジョバンニ洗礼堂。ドゥオモはさすがにデル・フィオーレの名に恥じない美しい教会です。緑と白、赤、ピンクの大理石が建物に美しい模様を織り上げています。




マリーノ・マリーニ美術館があると知り、新しい彫刻を見に、方向音痴が頑張ってたどりついたのですが、夏期休館中。

その彷徨中に通ったサン・ロレンツォ教会。ファサード(正面デザイン)未完成。とはいえ、なかなか迫力あります。ミサ中で中に入れなかったのが残念。


この間、息子はピッティ宮とボーボリ庭園に行っておりました。庭が好きなようです。それとも親と歩きたくないだけかもしれない。昼ごはんは広場に面したおしゃれな本屋Edisonで待ち合わせ。

ここの品揃えを見る限り、イタリアではまだまだ文学が売れているようでした。村上春樹も龍もおいてありました。そういえば、電車でも飛行機でも本を読む人を見かけました。ハードカバーの立派な本。読書人口多いんでしょうね。携帯の電波状況が改善されたらどうなるかわかりませんけど。

フィレンツェは京都と姉妹都市だそうで(実は岐阜市とも・・・)、教会の数に事欠きません。

午後イチはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。(ここの修道院から生まれたサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のほうが有名かも。)ここのファサードはモノトーンっぽく、デル・フィオーレに比べると平面的ですけれど、全体としてはなかなか装飾的に仕上がっています。中庭のぐるりが墓石で、しかもそれ自体がタイルのように配置されていました。今回いろんな形で教会内部のお墓を見ているのですが、実は何にもしらない教会お墓事情。帰ったら同僚の元神父に教えてもらおうと思います。ともかくこうして教会にはまっていく私。

そして、アルノ川近くまで戻って、今度はサンタ・クローチェ教会。ここのファサードはというと、塔がつんつんたっているあたりが他と違うんでしょうね。だんだん教会に目が慣れてきて、見分けがつくようになりました。ここは内部が工事中でガリレオのお墓は拝めませんでしたけど、ロッシーニとミケランジェロは拝めました。左下の写真はロッシーニのお墓。わからないと思いますが、ト音記号が模様に使われていて、わかったような気がするお墓。サイズ的には巨大仏壇が壁に埋め込まれているという感じ。壁一面いくら、で買って作るんでしょうかねえ。

工事中で見られないものも多いのですが、それにしても名品がたくさんあるはずの教会なのです。ところが経費削減か何かわかりませんが、案内がまったく貧弱で、いささか消化不良気味のまま、参拝終了。教会は美術館じゃないぞ、といわれれば、まったくもってその通り。判別する眼のない私がいけないのでしょう。

ここらあたりでいい加減、足が棒のようになっておりました。


アルノ川をグラツィエ橋(あれ、これって「ありがとう橋」ってこと?)で渡り、有名すぎるポンテ・ヴェッキオを眺めます。美しい教会建築に比べると、どうひいき目に見ても、うまいこと作った不法建築でしかないんだけどなあ・・・オペラ「ジャンニ・スキッキ」で歌われているくらいだから、こじんまりした美しい橋なんだろうと思っていました。

2009年8月22日土曜日

いざ、フィレンツェ

フィレンツェへの移動もTrenitalia、イタ鉄を使います。
ユーロスター、今度は落書きもない、きれいなユーロスター。2等車だけれど、近代的なモニター付き、読書灯つき、ただし、身動きすら困難な体ぴったり座席(またしても思う。大柄な人はどうするんだ??)。

夫と息子が並び、私はイタリア人ママの隣になる。対面シートにはならないみたい。イタリア人ママには通路を挟んで中学生くらいの娘さんと、小学生の坊やがいた。この坊やが2時間弱の道中なにかと言っては
ママに甘えてくる。イタリア男はみんなマザコンというが、その原点を見る思いである。ママを相手にじゃんけんをする。

延々とするので、私まで覚えた。イタリア語のじゃんけんは「びん、ぶん、ばん、くしゅ、くせ、ばんかーら」といって、出すのである。手の形は日本と同じグーチョキパー。よっぽど教えてやろうかと思ったけれど、この先ずっと子どもの相手をするのはご勘弁だったから。後車写真で私の前を歩いている野球帽少年がその子です。(アメリカでもないのに野球帽をかぶっているとはオドロキでした。アニメのキャラがついていたけれど、もしや日本アニメだったりしてね。)


フィレンツェの駅から市内まで定額料金タクシー。ぼられはしなかったものの、狭い道をとばすので冷や冷や。で、アルノ川のほとり、ウフィッツィの隣のホテルに着いた。

建て増しの温泉宿のような通路を通って案内されたのは2LDKのアパート同様の間取り。長逗留をする人のためなんでしょう。台所がイタリア~ン。
食器もカトラリーも一通りありましたが、鍋釜がない。たぶん、鍋を貸し出すことで、調理可能になり、宿賃もUPするのでありましょう。

ついでにバスルームも。こちらはモノトーンでまとめてありました。ベッドルームはどうだったっけ??なんかごく普通だったような・・・。いかんね。すぐに忘れる大人の旅。

そうそうウフィッツィを語らずしてホテルの話なんかしていたらしょうがない。いくら私たちでもすぐに隣へ行きましたよ。ここも日本で予約済み。インターネットはありがたや。

私にはこの建物が美しいとはあまり思えなかったのです。狭いところに無理して立ててるな、というのが正直なところ。アルノ川に浮かぶ空中回廊をイメージして・・・なんて記述をどこかで読みましたが、はぁ?と思うばかり。
しかし、中はすごかった!開けてびっくり玉手箱!立派な作品揃いです。もちろんここにも韓国人団体客がたんまり、日本人グループ少々でしたが、あんなに急いでみたらもったいない!ガイドの言うことなんかあとで本読めばいいから、一つ一つ自分の目で見てみてよ~といいたくなります。そりゃ私だって知ってる画家なんて数人でしかないんだけれど、ここの展示は流れがよく感じられる展示です。ルネサンスが人間再生であるということがよくわかりました。様式的な画題の中にも次第に生身の人の顔が感じられるようになります。(ま、私は様式ごりごりのビザンチン美術のファンでもありますが)。とにかくボティッチェリだけ見たんじゃさびしすぎ。いきなりヴィーナスが舞い降りたわけじゃないの。ウフィッツィを順に見ていくと、人間ってがんばっても結局人間でしかないんだなあ、みたいな親しい気持ちになれますね。ルネサンスを実感できただけでも、イタリアへ来た甲斐があったというもの。

加えてウフィッツィの採光がすぐれもの。天井から自然光がうまく取り入れられ、照明と組み合わされて柔らかい光の中で絵を見ることができます。採光の悪い美術館は目が疲れますもんね。

図録買いたかったけれど、重かったし、DVDを買いました。日本の旗マークがあったから、大丈夫だと思ったわけです。たまたま日本人のオジサンに「これ、日本で見られますかね?」と聞かれたので、大丈夫ですよ、とエラソーに答えました。ところが・・・ヨーロッパ方式で単に日本語音声ありというだけだったのです。当然、普通のDVDデッキでは再生できず、拙宅秘蔵の某国製オールマイティDVD(1万円そこそこのシロモノ)の世話になりました。オジサンごめん。

午後たっぷり、足がへとへとになるまでウフィッツィ。

そうそう、ウフィッツィの売店は次々と現れるのです。これで終わりかな~と思うと、またちょっと行くとある、という感じ。まるで関所みたい。だからこそ、ひっかかるのはDVDだけで沢山と思い、初回以降無視の連続だったのですが、たったひとつ心残り。最後の関所にあったフェラガモのスカーフ買えばよかった~。グロテスク柄があしらってあって、ちょっといい感じだったんだわ。

アッシジ

聖フランチェスコ大聖堂は駅からバスで10分くらい乗ったところの小高い丘の中腹にあります。
普通は旧市街近くのマッテオッティ広場までバスに乗るそうで、私たちもそのつもりだったのに、バス(満員)に乗り合わせたカブ・スカウトの子どもにつられ、聖堂の下、サン・ピエトロ教会のところで降りてしまい、しばし「ここはどこ?」。ようやく方向を見定め、聖フランチェスコ大聖堂へと向かいます。空は真っ青、丘の上から見下ろす風景は祝されているというにふさわしい、なんというか、人の働きと響きあうような農地です。穏やかな美しさに満たされています。さすが、聖フランチェスコの土地と思わないではいられません。もっと地形的に目を見張る土地はたくさんあるでしょう。でも、土地の優しさ、暖かさというものがあるとすれば、ここに匹敵する場所はそう多くはないような気がします。

聖堂の中はチマブーエやジョットのフレスコ画で飾られています。ジョットの描く「聖フランチェスコの生涯」は大変わかりやすい絵解き聖人伝。


お昼は旧市街へ向かう途中の「イル・フラントイオ」。プリ・フィックスのコース。個人客は私たちだけで、間もなく、席は欧米人の団体20数名と日本人団体8名ほどで埋まりました。日本人団体は世界遺産めぐりのようでした。お味はまずまず。アンティパストのドライトマトのピリ辛オイル漬けが◎。ラビオリもまずまず。セコンドの豚すね肉ローストは美味でしたね~。それに比べてドルチェは・・・まあ、いいや。




アッシジの街はどこといって大通りがありません。曲がりくねった細い道。でも、どこを歩いても素敵です。そうそう高所得の人がいるとも思えないけど、落ち着いているし、観光化が行き過ぎていないし。





大体私はどこへ行っても布きれに弱いので、ここでも当然、刺繍に引っ掛かります。店のドアを開けると、ちょうどおばさんが刺していました。おや、これは中国製のイタリア土産ではないな、とわかり、「いいわね、いいわね、あれ見せて、これ見せて」とお買いもの。中には刺しかけで棚に出してあるものまであって、「ここ、やりかけでしょ?」、「あら、私忘れてたのね(笑)」というなごやかさ。財布のひもも緩むというもの。

神父たちの祭祀に使うものもおいてあり、なかなかしゃれたデザインなのです。思わず、買わないけど写真とるね、でパチリ。おばさん、喜んでくれて、頼みもしないのに棚から聖杯にかける袱紗だの、なんだのと見せてくれて、しかもそのイタリア語まで教えてくれる・・・せっかくのご厚意に背き、教わった単語は一つも覚えておりません。神父の服の「T」はテオのTで、フランチェスコ会のシンボルです。

また別の店では、
「東京から来たの?私東京へ行きたいわ」
「日本人はみんなイタリアへ行きたがるのよ」
「イタリア人は日本が好きよ」
「日本人はイタリアが好きよ」
「イタリア人はイタリアが嫌いよ(笑)」
と、楽しい片言会話。

こちらは食料品店。サラミやチーズその他乾物のにおいが濃厚で夫は入店せず。外でジェラート喰うておりましたわ。












アッシジにあるものでもう一つ見逃せないのが、聖フランチェスコの弟子の聖女キアラ(クララ)にささげられた聖堂。ほのかなピンク色の大理石と白い大理石を用いた、品のよい教会でした。


丸一日アッシジで過ごし、その間、息子は山の上のマッジョーレ要塞へも登って楽し
みました。中世の武器とかあって面白かったそうです。
最後の写真に写っているのがその要塞。





(そうそう、一昔前、一世風靡の安野光雅「旅の絵本」のネタはアッシジとフィレンツェではないかな?)

2009年8月20日木曜日

アッシジへ 

さて、ローマ観光の合間に1日アッシジに足を伸ばしました。アッシジといえば、聖フランチェスコ。動物の言葉がわかるという触れ込みの、動物の守護聖人。今は亡き愛犬が余命カウント状態にはいったとき、わざわざ聖フランチェスコのメダイを取り寄せてつけてやったものです。同じものが私の携帯ストラップにもつけてあります。映画「ブラザーサン・シスタームーン」の主人公にもされ、かなり親しみやすい聖人だといえましょう。

加えて、ここを尋ねた一番の動機は、美也子ちゃんのご推薦です。むしろ、ご推薦の弁を聞き、聖フランチェスコなら行ってみるか、と決まったというべきでしょう。

以前ドイツに行ったときも、鉄道の旅を楽しみましたが、外国旅行で公共交通機関に乗るのは楽しみのうちです。イタリア鉄道 Trenitalia はドイツ鉄道 Deutche Bahn に比べるとちょっと不安でしたけど、思いのほか正確に運行しておりました。ただし、ホームの発車番線は直前まで不明。東京のように常時何番線は何線と決まっているわけではないようです。始発駅も、あらかじめ日本で調べたときは、Roma Tibrtina だったのに、Roma Termini に変わっておりました。

間違えて1等車にのったので、検札に来た車掌さんに見つかり、一人あたり€5.3払いました。もちろん2等車に移動してもよかったのです。


アッシジはローマからローカル線で2時間ほど。電車はローマを出るとまもなく田園地帯にはいり、オリーブ畑やひまわり畑を走ります。マストロヤンニとソフィア・ローレンの名作「ひまわり」も、故郷のひまわり畑とロシアのひまわり畑がかぶっていたのかな、なんて思ったりしながら車窓の風景を楽しみます。なんだかありがたみのありそうな古いお城風のものも見えたりします。電車の速度はかなり速いです。各駅ですが駅と駅とはたっぷり離れているので、ローカル線各駅停車というのろのろ感はありません。

夫が車内を歩き回っているうち、あるおばあさん(もちろんイタリア人)に窓を閉めてくれ、と頼まれました。イタリア語でいわれたとはいえ、状況的に理解できたようです。で、そのおばあさん、アッシジの駅が近づいたら、われわれに向かって(その車両にわれわれのほか客は数組しかいなかった)、「Assisi, Assisi」と呼びかけてきました。

「おお、なんとご親切なこと。外国人にはわからんだろうと思って、声掛けをしてくれるんだわ」と感激して、「んだ、んだ、わかっとるよ」と答えても、なぜか手まねきする。しょうがなしに婆さん(この時点でおばあさんの評価が下がり、「婆さん」と化する)の席まで行くと、どうやら婆さんも同じAssisiで降りるらしい。私の実力をはるかにオーバーしたイタリア語で何やらかんやらしゃべりまくる。困ったことだ。まあ、しゃあないから、とりあえず荷物を持ってあげて、一緒に下車。

街に向かうバスに乗り遅れたら嫌だなあ、婆さんが面倒なことを持ちかけたら困るなあ、と脳内黄信号on 。イタリアの駅には改札というものがないので(乗車前の自主改札=切符の打刻と車内検札のみ)、だらだらと駅前まで婆さんに同行。迎えの人が来ているかと思えば、そうではなく、婆さんはタクシー乗り場に立っているオヤジ(つまりタクシーの運転手)に「おまえはステファノではないか」と尋ねる。

あらら、これはどういうこっちゃ、と思う間もなく、運ちゃんは「おいらステファノじゃねえ」といい、婆さんは「ステファノを知らんか」といいつつ、手帳に挟んだ名刺を見せる。婆さん、顔も知らない迎えの人をあてにしていたんだ・・・。黄信号がだんだん赤みを帯び、私は身勝手なイタリア人を見習い、「私らバスに乗るから、さよならね~」と婆さんは運ちゃんに任せて、バスに乗り込んだのでありました。まあ、いたって荷物を持つくらいの助けしか出来ないんだしね。